中国歴史紀行  (115) 
         永樂宮


山西永楽宮は中国道教三大道教の總本山。もとは純陽萬壽宮と言つた。これは現存する最大の宮觀。50年代末、中国国家の威信をかけたプロジェクト『三門峡ダム』建設で水没することになった。中国政府はこの貴重な文化遺産を1959年〜1964年までに人民幣200余万元の費用をかけて、永楽宮を20kmの古魏遺址に移設し復元した。

広大な規模、巍然たる殿閣は壮大な気迫を感じる。永楽鎮は道教八仙人の一人呂洞賓の生まれたところ、呂洞賓の死後、地元の人々旧居を呂公祠に改めたのが原形となり、寺院の成立と拡大が認められる。

呂洞賓の神話が流布するにつれ、礼拝に訪れる人が増えて、廻廊を増設して道教寺院とした。中統3年(1262年)に中心をなす殿宇が竣工した。(1294年)に竜虎殿。(1325年)に三清殿の壁画。(1358年)に純陽殿の壁画が完成した。110年余り、ほとんど元朝一代の歳月がかかった。

中心をなす、宮門。竜虎門。三清殿。純陽殿。重陽殿が中心軸に並ぶ。

◇三清殿⇒藻井は彫りが精緻で特に中央の盤龍よい。屋根は黄・緑・藍の三彩の琉璃の縁取りが精緻な造りで、色彩が鮮やかである。殿内は壁一面に壁画が描かれている。諸神が道教の始祖である元始天尊を拝す「朝元図」。

◇竜虎殿⇒土台石に彫った6頭の獅子は姿態が生きいきして、熟練した技をみる。

◇純陽殿⇒三清殿の北隅にある。呂洞賓を祭る。呂洞賓の降誕から成仙度人まで、52幅からなる。構図が絶妙。私は、この壁画に非常に感動した。貞元14年4月14日出生、この日観衆は一羽の白鶴が洞賓の母親の房中に飛来するのを見る。母親が夢の中で驚き目覚めた時、洞賓が降生した。

この刻、香りが部屋に満ち溢れ、香りは何日も漂った。壁画は呂洞賓降生の後、盆中で洗浴。併せて五彩の霞みが立ち昇り天空には祥雲瑞気が満ちる、一羽の白鶴が俯瞰する、画面上に一組の行人が天を仰ぎ驚き呼ぶ、主題の視線が集中した傑作。

◇重陽殿⇒永楽宮の奥にある。道教の全真派の首領である王重陽とその弟子、七真人を祭る。殿内の壁画に王重陽の神話伝説に材を取る壁画が描かれている。元代の絵画の素晴らしさに暫し酔 



               


           




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